2022年5月4日水曜日

ルパート・ケッセルリンク「未来の原因としての現在をより大切にすべきでしょうな」(本伝第34話)

総司令官ヤン・ウェンリーの査問中に、留守となったイゼルローン要塞を狙われた自由惑星同盟。無事に撃退はできたものの、査問を持ち掛けてきたフェザーンに対して、当然不信感を募らせていました。

フェザーン駐在の自由惑星同盟高等弁務官ヘンスローは、自治領主の首席秘書官ルパート・ケッセルリンクに対し猛然と抗議しますが、ケッセルリンクはどこ吹く風。まったく取り合う様子がありません。それどころか、

「不当な勧告でしたな。内政干渉にあたりますから。あなた方にこそ、拒否すべき正当な権利と理由があったはずです」

と、涼し気に言ってのけたのでした。確かにケッセルリンクの言う通りなのですが、同盟政府はフェザーンへの借金の返済を猶予してもらう以外に選択肢がなかったため、若干悪辣なやり方だったといえるでしょう。といいつつも、同盟政府としてもヤンをいずれ無き者にしたいという願望があったため、フェザーンの査問の申し入れは実は渡りに船だったとも言えます。要は、どちらも自分の責任を他人に押し付け合っていただけなのでした。

ケッセルリンクの刺々しいセリフは、実は更に続きます。

「我々フェザーンは真剣に悩んでいるのですよ。現在のトリューニヒト政権と、将来あるべきヤン政権のどちらと友諠を結ぶべきであろうか、と」。

そして、帝国でラインハルトが独裁体制を築いた点に触れ、「歴史の可能性の豊かなこと、運命の気まぐれなこと格の如しです」と続け、「よくお考えになった方がよろしいでしょうな、先行投資の重要さというものを」と、ヘンスローに諭すのでした。ここまでフェザーンのスタンスを現同盟政府の要人にあからさまにする必要は無かったと思いますが、この時のケッセルリンクは、目の前の相手が自分の掌で踊らされていることに、酔ってしまっていたのでは、と思います。

そして、最後に哲学的でもあり、かつ実践的な〆の言葉を残して立ち去るのでした。

「人間には現在は無論大切ですが、過去の結果としての現在よりも、未来の原因としての現在をより大切になさるべきでしょうな」。

ルパート・ケッセルリンク「未来の原因としての現在をより大切にすべきでしょうな」(本伝第34話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第34話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここでの学んだのは、未来志向であるべき、ということでした。

ケッセルリンクは脇役で、しかもどちらかと言うと敵役の側なのですが、この第二部では非常に出番が多く、かつ名言をたくさん残しています。この言葉はその中の一つで、当時の私にとても大きな影響を与えました。

ここでの主題は「現在」の位置づけなのですが、彼は因果関係における「現在」の「置き場所」を変えるだけで、「掌で踊る側」になるか、「掌で踊らせる側」になるか、どちらにより近づくかが変わる、ということを暗に言っているように思います。すなわち、過去の前例ばかりを見て、ヤンが政権を取るなど考えられないと、硬直した思考をしてしまうヘンスローと、未来を変えるために現在なすべきこと(例えば先行投資)を考えるケッセルリンクのような考え方では、後者がより「掌で踊らせる側」に近くなる、ということです。

受け身タイプの人間と、攻めタイプの人間を比べて、後者がより良いと言っているようにも聞こえるかもしれませんが、本質はそこではありません。受け身タイプでも攻めタイプでも、その姿勢が未来を見据えた上で必要とされる現在の姿勢なのであれば、それはどちらもケッセルリンクの言う「未来の原因としての現在を大切にする」ということに合致するからです。

ここで大事なのは、その姿勢を採るに至るプロセスだと思います。過去の成り行きから生まれた姿勢なのか、それとも未来の目標を見据えて今採るべき姿勢を考えたのか。やっていることはたとえ一緒だとしても、そのプロセスの違いが、結果を大きく左右するのだと思います。

実際にビジネスの場、特に不測の事態が起きた際に、この(時間的)考え方のプロセスの違いによって、反応の仕方が変わります。

前者の「過去の結果としての現在」を見てしまう人は、不測の事態に弱いです。前例がないためであり、かつ「物事の進行」と「自身」の関係が、「主」と「従」であるため、事態が悪い方向に行けば、自身も悪い方向に引きずられて行ってしまいます。

しかし、後者の「未来の原因としての現在」を見る人にとってはそうではありません。予想外の出来事が起きた「現在」自体も、未来にどう活用するかを考える人が多いと思います。また、そもそも「自身」が「主」として「物事の進行」を「従」わせているため、多少の動揺はあっても、不測の事態を踏まえて計画が見直され、やがて何事もなかったかのように元の状況に戻っています。

「現在」の「置き場所」、つまり現在の姿勢の決め方というたった一つのことですが、それが少年時代から10年、20年と積み重ねられることで、成し遂げる結果は大きく変わるのではないか、と思います。

2022年3月13日日曜日

ナイトハルト・ミュラー「優れた敵には相応の敬意を払おうじゃないか」(本伝第33話)

帝国軍によるイゼルローン要塞攻略戦は、潮目が変わりつつありました。当初は攻め側の帝国軍の攻勢が激しく一方的な展開でしたが、メルカッツ提督の活躍もあり、次第に守り側の同盟軍も組織的に抵抗できるところまで持ち直していました。ハイネセンを急ぎ出発したヤン・ウェンリーと増援部隊がイゼルローンに到着すれば、戦況は大きく同盟軍側に傾く、そんな局面だったと思います。

この段階でも、まだ帝国軍はヤンの不在や増援の存在を知りませんでしたが、同面軍の捕虜が死ぬ間際にうわ言でヤンの不在を仄めかす言葉を発したことで、事態が急変します。帝国軍側では、この捕虜の言葉が真実なのか、罠なのか、物議を醸すことになります。

副将のミュラー提督は、この言葉が真実であると考えました。罠にしてはあからさまで、目的がはっきりしないからです。そのため、ヤンの帰路を捕らえる目的で、イゼルローン要塞の同盟軍側出口に自身の艦隊を展開しました。ここでヤンを失えば、イゼルローンだけでなく、同盟軍全体が瓦解すると考えたのです。

ミュラーの戦略は当を得たものでしたが、総司令官であるケンプ提督の見解は、「(常識的に)総司令官が任地を離れるはずがない。援軍が来たと見せかけて帝国軍を分散させる罠だ」というものでした。結局、主将たるケンプの見解が採用され、同盟軍は九死に一生を得たのでした。(ミュラーは、増援軍が帯同していたことまでは読み切れていなかったので、もし実行されていても成功したかどうかは定かではありませんが)。

このやり取りの中、ミュラーは副官のドレヴェンツから、「ヤン・ウェンリーとは、それほどまでに恐るべき男なのですか」と問いかけられます。ミュラーは「卿はあの要塞を味方の血を一滴も流すことなく陥落させることができるか」と返し、ドレヴェンツの否定の言葉を聞いた後、こう会話を締めくくるのでした。

「優れた敵には相応の敬意を払おうじゃないか、少佐。そうすることは我々の恥にはならんだろうよ」。

『銀河英雄伝説』DVD 本伝第33話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで学んだのは、事実で正確に評価をすることの大切さ、という点でした。

ヤン・ウェンリーの出世は、エル・ファシルの民間人脱出やイゼルローン要塞攻略など、華々しさがありすぎて、同盟軍内部でも「運が良かった」と言われてしまうくらいでした。当の本人もそう思っている節がありますが、近くで見ているメンバー(ヤン艦隊メンバー、特に副官フレデリカ)は、運だけでなく(相当な)実力によるものであることをしっかり認識していました。

他方で、帝国軍ではどうだったかというと、ここでドレヴェンツが疑問を呈しているように、評価は一定ではなかったようです。

ラインハルトやキルヒアイス、そしてキルヒアイスからヤンの人となりを伝え聞いていたミュラーは、ヤンを有能な指揮官という以上に、「恐ろしい男」であることを肌身で感じていたのだと思います。

しかし、ケンプ提督は、アムリッツァ戦役時に実戦で対峙し、そこそこ戦えたことが裏目に出たのでしょうが、ヤンは「有能」ではあるものの「恐ろしい」という感覚は持っていなかったのだろうと思います。また、今回、序盤有利に戦局を運べたこともあり、ケンプの「艦隊戦ならヤンと互角に戦える」という感覚は、困ったことに強化されてしまったように見えます。(それだけに、ヤンが不在だったという事実を受け入れられなかったのかもしれません)。

自分より相手の方が圧倒的にレベルが高い場合、そしてそれでも戦わなければならない場合、皆さんはどうするでしょうか?正確にレベル差を認識できていた場合、恐らく純粋な正攻法ではなく、戦い自体に負けてもそれ以外で勝てるような算段をしたり、そもそも戦いを避けたり、といった行動を取ると思います。今回の場合、奇しくもヤンとラインハルトの意見が一致しましたが、移動できるガイエスブルク要塞をイゼルローンにぶつけて相打ちにする、という策が最も勝利に近かったはずです。

幸いなことに、戦争ではなくビジネスや勉学の世界では、レベル差の大きすぎる相手との戦いをどうしても強いられる、という局面は少ないと思います(たいていは避ける道がある)。そのため、そのレベル差自体を、事実をもってきっちり把握し、むしろ相手に敬意を払う、というミュラーのようなスタンスが重要になってくるのだと思います。

2022年3月6日日曜日

カール・グスタフ・ケンプ「ただわが軍有利とだけ伝えろ」(本伝第33話)

メルカッツ客員提督(帝国から亡命してきたため、このように呼ばれています)の活躍により難を逃れたイゼルローン要塞の自由惑星同盟軍。純粋にミュラー艦隊の要塞内部への侵入を阻止しただけでなく、人材面での(予期せぬ)補強がなされたことがとても重要だったと思います。

というのも、当時のヤン不在のイゼルローン要塞に欠けていたのは、個々の艦隊戦能力でもなければ(アッテンボロー提督やフィッシャー提督が居ました)、白兵戦やドッグファイト能力でもなく(こちらはシェーンコップ、ポプランら、歴戦の強者が居ました)、補給等の事務処理能力でもありません(司令官代理のキャゼルヌが同盟軍随一のエキスパートでした)。それらを束ねて総合力として帝国軍に当たるための「戦局把握能力」およびそれに基づく「戦術眼」が、決定的に足りていませんでした。そのため、ケンプ、ミュラー両提督が率いる銀河帝国軍に先手先手を取られてきたと言えます。

そこに、満を持して登場したメルカッツが、ヤン不在の穴を埋めることに成功したのです。これは同盟軍にとっては大きい。キャゼルヌとシェーンコップが次のような会話を交わして潮目の変化を印象付けています。

キャゼルヌ「さすがだな、メルカッツ提督は」

シェーンコップ「敵ばかりに有能な人材が集まったのでは不公平ですからな」

息を吹き返した同盟軍に対し、帝国軍の方は少し事情が違います。これまですべての作戦で優位に事を進めていたところに、痛い逆撃を食らってしまいました。また、そのことにより主将たるケンプ提督と副将のミュラー提督の間に隙間風も吹きつつありました。

折り悪く、そこに本国(総参謀長オーベルシュタイン)から戦況報告を求める通信が入ります。どのように報告すべきか。参謀長フーセネガーより指示を請われたケンプ提督は、一言、こう伝えるのです。

「ただわが軍有利とだけ伝えろ」

カール・グスタフ・ケンプ「ただわが軍有利とだけ伝えろ」(本伝第33話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第33話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで学んだのは、過少報告は悪い報せ、ということでした。

ケンプ提督は、当時の自分への周りの評価とこの作戦の責任の重さ、そして本国で待つ他の諸将(特に先んじて功績を上げているミッターマイヤーやロイエンタール)に対する体面を確保する目的から、戦況を詳しく報告せず、手短に伝えて余計な介入をシャットアウトするという判断を下しました。しかし、本国で報告を聞いたラインハルトは、この一言で戦況が良くないことを看過します。つまり、隠し事があると睨んだのですが、それは正鵠を得ていました。

ここで本来ケンプが報告すべきだったのは、同盟軍の動きが想定よりも鈍かったこと、そのため序盤は有利に事を進めていたこと、切り札と考えていた手が完全には成功しなかったこと、といった事実であったと思います。その情報は、本国にいるラインハルトおよびオーベルシュタインが次の手を考えるために有益になったはずです。(もしかしたら、フェザーンに探りを入れて、ヤンが不在であることを見破れたかもしれません)。しかし、ケンプがそれをしなかったため、ラインハルトとしては、単に増援を送るという判断しかできませんでした。

こういったことは、ビジネスの世界でもよく起こることだと思います。特に、親会社と子会社の関係で頻発します。子会社(特に海外の子会社)は自陣の腹の内を探られることを嫌うことが多いと思いますが、そのため火種が温存されていることも多いです。本来は互いに情報開示をして最も有益な選択を取るべきなのですが、立場が主従関係の場合はこの当たり前のコミュニケーションがうまくいかないことが多いです。そのため、情報技術等を使って、事実をありのままに親会社側が把握できる仕組みが必要になってくるのだと思います。

さて、ここでのもう一つの学びは、束ねることの大切さ、ということでした。

亡命後に自身の居場所を探していたメルカッツが見事に前線に返り咲く前までの自由惑星同盟軍は、まさに烏合の衆と化していたと思います。求めること自体が酷ですが、司令官代理のキャゼルヌには、有事の対応は困難でした。また、脇を固める諸将達も個性派ぞろいであるため、ヤンのように実力と人望を兼ね備えた司令官でないと言うことを聞いてくれません。

しかし、メルカッツには、敵方の帝国軍での実績ではあるものの、誰よりも長い軍歴と、ラインハルトと対等に戦い切った経験がありました。そして彼へのヤンの厚い信頼も、メルカッツが自由な手腕を発揮するのに一役買っていたと思います。つまり、諸将の接着剤になるだけの実績と信頼があったということです。そのことを更に実践で示したことで、同盟軍諸将のメルカッツ提督への信頼は確固たるものになりました。

たった一人、ヤン・ウェンリーという人物がいないというだけで、無敵のヤン艦隊はバラバラになり、ケンプとミュラーに翻弄されるくらいに弱体化していたのですが、そこにメルカッツ提督というピースがハマったことで、(完全では無いものの)息を吹き返したのです。このことは、戦いの場だけではなく、ビジネスを含めあらゆるところで、統率の役割の重要さを示唆しているように思います。

2022年2月11日金曜日

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ「適度に道を開けて逃がしてやるのだ」(本伝第33話)

キャゼルヌの指揮の下、苦戦を続ける自由惑星同盟軍。頼みの総司令官ヤン・ウェンリーの帰還は早くても四週間後と絶望的な状況の中、銀河帝国軍は更に攻勢をかけてきました。移動可能なガイエスブルク要塞の特性を生かした戦術により、副将ミュラー提督の艦隊がイゼルローン要塞の背後に周り、ついに外壁を破ることに成功したのです。

ミュラーは間髪入れず、穴を開けた外壁からイゼルローン要塞内部に侵入を試みます。しかし、ここである男が立ち上がります。元銀河帝国の宿将でラインハルトとの戦いに敗れて亡命していたメルカッツ提督です。彼はヤンに身許を預けた後、表立った活動は控えていましたが、同盟軍最大のピンチに対し、自らの役割を全うしようとしたのでした。

メルカッツはまず、アッテンボローやフィッシャー、グエンら同盟軍の将帥達の支持をとりつけ、封じ込められていたイゼルローン艦隊を出撃させることに成功します。そして、イゼルローン要塞の浮遊砲台群との見事な連携で、ミュラー艦隊を包囲することに成功しました。形勢は逆転し、今度はむしろミュラー艦隊が殲滅の危機にさらされることになります。

この場面でのメルカッツの振る舞いも見事だったと思います。彼は、「適度に道を開けて、逃がしてやるのだ」と副官シュナイダーに指示し、窮鼠と化したミュラー艦隊の反撃による被害を最小限に抑えたのでした。そして、彼が与えた逃げ道から逃走する敵軍に対し速やかに追撃をかけ、戦力を削ぐことに成功しました。

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ「適度に道を開けて逃がしてやるのだ」(本伝第33話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第33話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここでの学んだのは、相手の逃げ道をすべて塞いではいけない、そして、与える逃げ道はこちらの都合の良いものにする、ということでした。

相手の逃げ道をすべて塞いでしまうと、今回のような場合、恐らく敵の総力を上げた反撃に遭い、無用な損害を出していたことは疑いありません。また、そもそも出撃の目的がイゼルローン要塞内部に侵入を図る敵を一掃することでしたから、ミュラー艦隊を包囲殲滅する必要はありませんでした。そのため、包囲した際に逃げ道を残しておくことは、メルカッツにとって、当初から想定していたことだと思います。もちろん、追撃も最初から視野にいれていたことでしょう。

同様の場面は、ビジネス現場でも起こりえます。誰かを説得せねばならなくなった場面では、よくできる人ほど、理論上のすべての選択肢を封じ込め、相手をやりこめてしまいたくなるものだと思います。しかし、それをしてしまうと、説得はできたとしても、その相手との関係が破綻してしまう可能性が高くなります。それよりも、十分説得ができる程度に戦果を上げたら、相手に少しでも華を持たせて議論をクローズする方が、より多くのものを手にすることができます。ただ打ち負かすのではなく、議論後の関係性までも想定して、相手の逃げ道を用意したシナリオを組むことが有用だと思います。

部下との関係でも同様のことは起こりがちです。部下に対して自分の方が仕事ができることが多いでしょうから、部下のやることなすこと全てが物足りなく見えてしまうことがあります。そしてそんな時、部下の言い訳までも予想して、逃げ道をすべて塞いで打ち負かしたくなることもあると思います。プライドもありますので。しかし、その状況が続いてしまうと、部下は疲弊し、自分から離れていくか、潰れてしまうか、どちらかの結末になってしまいます。それは、自分にとって大きな損失となります。部下そのものを失うだけでなく、そういった形を部下を潰した人間だと周囲に認識されてしまうからです。

もちろん、時には完全包囲をして逃げる隙を一寸も与えない必要に迫られる場面もあるでしょう。しかし、そこまで徹底せざるを得ない場面は、人生の中でそれほど多くはないはずです。常に相手に逃げ道を用意できるような、余裕と戦略眼をもった人間であることが、世の中でうまく生きていける秘訣なのではないか、と思います。

2022年1月23日日曜日

ヤン・ウェンリー「全人類社会が単一国家である必要はないさ」(本伝第33話)

銀河帝国軍の襲来により政治家たちの査問会から解放され、ヤン・ウェンリーは5000隻ほどの援軍とともに、イゼルローン要塞への帰途についていました。要塞にたどり着くまでの期間は約4週間。その道すがら、副官のフレデリカに、専制国家である銀河帝国と、民主制国家である自由惑星同盟の共存論について、自身の見解を述べていました。

ヤンは民主制で全人類が統一されることの必要性を認めておらず、そのことを「全人類社会が単一国家である必要はないさ」という一言で簡潔にフレデリカに伝えています。また、貴族連合軍の戦いの中で亡くなってしまったキルヒアイス(帝国宰相ローエングラム侯ラインハルトの親友かつ側近)が生きていれば、帝国と同盟の橋渡しをしてくれたかもしれない、と、敵国の将軍でありながら、故人を悼むのでした。

ヤン・ウェンリー「全人類社会が単一国家である必要はないさ」(本伝第33話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第33話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここでの学びは、ダイバーシティの考え方は政治体制にも有効、ということです。

人類社会において、政治体制にはいくつか種類がありました。神権政治、封建制、絶対君主制、民主制、などなど。それらは、どれが悪で、どれが善というものではない、というのがヤンの基本的な考え方だったと思います。それぞれに利点/欠点があり、互いにそれを認め、状況に応じて最適な選択ができる状況を維持する、これが理想の姿だと。

銀河帝国内で、相対する政体(銀河帝国にとっての民主制、自由惑星同盟にとっての専制)に対し、ヤンのように少し寛容に考えられるのは、キルヒアイス以外にはいなかっただろうと思います。彼には他者を受け入れる寛容さがあり、それは現代社会でいうダイバーシティ・インクルージョンの考え方に近いものでした。他方で、この時点でのラインハルトと総参謀長オーベルシュタインには、専制国家以外を許容する考えはなかったように思います。

では、専制と民主制の利点と欠点は何か、そしてこの時点ではどのような選択が最適だったのでしょうか。後の言動も踏まえると、ヤンはそれぞれを以下のように紐解いていたのではないかと思います。

専制 利点:改革をドラスティックに実行できる
   欠点:最高権力が世襲され善政/悪政どちらになるかがギャンブルになる
      国民が政治に責任を持たない

民主制 利点:国民が政治責任を負う、多数の知恵が政治に反映される
    欠点:改革スピードが遅い
       責任逃れが横行し何も決まらない病が蔓延する(衆愚政治)

最適だと思われる解
・銀河帝国がラインハルト・フォン・ローエングラムの元に改革される
・ただし、全人類社会がラインハルトの下に統一されてしまうと、
 もし後継者が愚鈍であった場合に取返しがつかなくなる
・そのため、自由惑星同盟は民主制を保って独立を維持するべき

多くの人間は、どちらかが善でどちらかが悪、あるいは味方と敵、という二者択一を前提にしてしまいがちですが、そうではないということです。そうではなく、政体についてもダイバーシティ・インクルージョンが必要で、自身の帰属する政体だけを唯一無二と考えない方が良い、ということだと思います。

※本件、言葉にするのは簡単ですが、人間には(おそらく本能的に)帰属意識というものがあり、どうしても自身が属する社会政体を肯定(あるいは社会政体に従属)しがちになってしまうので、とても実行が難しい考え方だと個人的には思っています。

なお、現代のダイバーシティ・インクルージョンには、「新結合によるイノベーション創出確率の向上」という面もあります。これは、ヤンの言ういわゆる「選択肢の温存」という論点よりも、更に先を行った考え方かもしれません。専制と民主制を掛け合わせてより良い政体が生まれる、といったイノベーションが起きれば、より良い社会、そして安定した社会にまた一歩近づくのかもしれません。

2022年1月10日月曜日

イワン・コーネフ「誰でも悲観論より楽観論を好むものさ」(本伝第33話)

ヤン・ウェンリーが首都星ハイネセンで査問会から解放されつつある頃、イゼルローン要塞は危機的状況にありました。銀河帝国軍がケンプ大将を総司令官、ミュラー大将を副司令官に任じ、ワープエンジンを取り付けたガイエスブルク要塞を用いて、大艦隊をイゼルローン攻略に派遣したのです。

ヤンが不在の中、イゼルローンでは代理を務めるキャゼルヌが指揮を執っていましたが、いかんせんキャゼルヌは事務方の人間で、実戦経験がありません。シェーンコップ、アッテンボロー、グエン・バン・ヒューといった歴戦のつわもの達をうまく統括できませんでした。その結果、要塞完成以来傷一つついていなかった防御層に敵要塞の主砲を撃ち込まれるだけでなく、手薄になった背面からの攻撃で艦砲に外壁を破られるなど、あと一歩で要塞が墜ちる、というところまで迫られてしまっていました。

士気が落ちつつある中、唯一の望みは首都星ハイネセンからのヤンの帰還と増援です。すでにこの時、キャゼルヌはハイネセンに敵襲の報は伝えていましたから、時間が稼げれば増援が来るはずでした。しかし、問題はその時間でした。ハイネセンからイゼルローン要塞に艦隊が到着するには、急いでも4週間かかります。形勢が不利な今の状況下で、ひと月近く持ちこたえなければならない。副参謀長パトリチェフが要塞内放送で全軍を鼓舞する中、その大変さを実感している空戦隊長の二人(ポプランとイワン・コーネフ)は愚痴をこぼしあうのでした。

ポプラン「パトリチェフのおっさんもよく言うぜ。(中略)ヤン提督が帰還する前にイゼルローンが墜ちている可能性を無視している」。

イワン・コーネフ「誰でも悲観論より楽観論を好むものさ」。

イワン・コーネフ「誰でも悲観論より楽観論を好むものさ」(本伝第33話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第33話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで学んだのは、嘘をついてまで維持すべき士気の重要性です。パトリチェフは、ヤンがいつ帰還するのか(そもそも帰還するのかすら)不明な状況にも関わらず、それを隠して「我々は勝利に近づいている」と全軍を鼓舞しています。そこに現実をよく知るポプランが嚙みつくわけですが、ここではイワン・コーネフの見解の方が理にかなっていたと思います。この段階で士気が乱れ投降者や離脱者が出てしまえば、ヤンが到着する前に軍が瓦解していた可能性が高いからです。

同様の状況、つまり、先が見えない中、何かを拠り所にして(時として他人や自分に嘘をついてでも)とにかく頑張らねばならない状況というのは、人生の中で何度か遭遇するものだと思います。中国の三国志の世界でも、魏の英雄曹操が、行軍中に水不足で兵士の士気がダダ下がりの中、「もうすぐ梅林がある」と嘘をついて乗り切ったという逸話があります。こういった場面で希望を捨てずひと踏ん張りできたかどうかで、その人の人生はかなり変わることになると思います。

もう一つの学びは、ここの文脈と若干異なりますが、専門家の重要性です。

ヤンは、今の時期に帝国軍が攻めてくることは「理論上」確率が低いと見たため、事務方のキャゼルヌに後を任せてハイネセンに向かいました。平時であれば最良の選択肢だったわけですが、あいにく予想に反して帝国軍が攻めてきました。(フェザーンがイゼルローンからヤンを遠ざけて陥落させようとしたので、当たり前といえば当たり前なのですが…)

そして、残念ながらキャゼルヌは軍事面でうまく統率できないことが、アニメでも克明に表現されています。シェーンコップに好き勝手されて呆然とするキャゼルヌの姿が描かれているのですが、もちろん本人のせいではありません。他方で、ヤンは軍事面、特に専門家を統率するという面で、稀にみる専門家です。そして、この状況を丸く収めたのは、ヤンと同様に軍事および統率面で一目置かれているメルカッツ提督でした。※後に、メルカッツ提督は同盟崩壊後に「動くシャーウッドの森」の指揮をヤンから託されます。

このエピソードは、いかに適材適所が大切か、専門家が欠けることがいかに致命的か、ということを教えてくれていると思います。

2021年12月26日日曜日

ホワン・ルイ「政治家とはそれほど偉いものかね」(本伝第32話)

自由惑星同盟で政治屋達が救国の英雄ヤン・ウェンリーをいびっている最中に、「見事なタイミング」で銀河帝国軍がイゼルローン要塞奪還に向けて進出します。(そもそもフェザーンが仕組んだことなので、タイミングが良いのは当たり前なのですが)。しかも、帝国軍はこれまでと違い、要塞ごとイゼルローン回廊に侵入してきたため、これまで以上の脅威であることは誰の目にも明らかでした。(これも、フェザーンの助力で貴族連合軍の本拠地だったガイエスブルク要塞を移動要塞化して実現しています)。

その報は、イゼルローンをヤンから一時的に預かっていたキャゼルヌから、超高速通信を使って首都星ハイネセンに届けられます。そして、それはまさに何度目かの査問会で、ヤンが辞表を盾に反撃をしている真っ最中でした。

査問会を取り仕切っていたネグロポンティ国防委員長以下メンバー達は、別室に集まって対策を協議します。ヤンがいなければイゼルローン要塞が落ちることは自明で、イゼルローンが落ちれば確実に首都星ハイネセンに帝国軍が押し寄せてくるでしょう。つまり、彼らが取れる選択肢は、査問会を中止してヤンに一刻も早くイゼルローンに戻ってもらうことでしたが、懸念が2つありました。

1つは、これまで精神的拷問を受け続けたヤンが、素直にイゼルローンに帰るという選択を受け入れてくれない可能性があること、そしてもう1つはヤンを頼るために査問会を中止にしてしまうと、査問会を開催した政治家たちのメンツが台無しになる可能性があることでした。

ネグロポンティは逡巡するものの、その場にいた唯一の良識派ホワン・ルイに促され、査問会を中止とする決断をします。そして、彼等らしい選択ですが、2つの懸念のうち、後者を優先して、前者は運に任せるやり方を採ります。つまり、ヤンに対し、国防委員長として、イゼルローンに戻って防衛に専念するよう「命令」したのです。査問会での拷問への「謝罪」を何一つせず、また救国の英雄に「依頼」をすることもなく、ただメンツが潰れることのみを避けるために取った行動が「命令」であったと思います。

ここでヤンには、用意していた辞表を出して命令を拒否する選択肢もありました。実際、査問会メンバーがヤンから承諾の言葉を聞くまで、少し間があったため、ヤン自身も一瞬迷ったのかもしれません。しかし、最終的にヤンはネグロポンティの命令という名の依頼を受領し、イゼルローンへの帰還の途につきます。

表題の言葉は、ヤンが退出したのち、査問会メンバーの一人が「あの態度は目上に対して礼を欠くこと甚だしい」と称したことに対する、ホワン・ルイの一言です。

「政治家とはそれほど偉いものかね。私たちは社会の生産になんら寄与しているわけではない。市民が納める税金を、公正にかつ効率よく再配分するという任務を託されて、それに従事しているだけの存在だよ。彼が言う通り、私たちは社会機構の寄生虫でしかないのさ」。

ホワン・ルイ「政治家とはそれほど偉いものかね」(本伝第32話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第32話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで学んだのは、政治家と市民は本来は対等、ということでした。

私がこの場面に遭遇する前、政治家は彼らが自らを「目上」と称したように、色々な意味で「偉い人」達だと考えていました。というより、政治家だけでなく、ビジネス上で社長・部長などの肩書を持った人たちも、「目上」のように感じていました。

しかし、ホワン・ルイのこの言葉で、当時、まさに自身が啓蒙されたと感じました。つまり、政治家を始めとする「偉い人」達は、ただリソースを再配分するという仕事をしているにすぎず、実際に生産する側との関係は、あくまで対等であるということです。物事をヒエラルキー(昔の士農工商やカースト制度)のような見方をすると、そこには明らかな上下関係がありますが、役割を重視してみると、そこにあるのはただの役割機能の違いであって、上下関係ではないことに気づきます。

この考え方はある意味当たり前なのですが、同じ会社で長く働いて管理職の階段を登っていくことが「偉くなる」道だと言われてきた日本のサラリーマンにとっては、受け入れがたい考え方のように思います。(もちろん、古くからの政治家の皆さんにとってもそうでしょう)。

近年、終身雇用前提の人事制度から、役割・機能重視の人事制度に変えていく動きが日本企業でも見られますが、その背景には、そもそも管理職と現場は対等であるという、このホワン・ルイのような考え方が背景にあるのだと思います。

もう一つの学びは、常に出口を考えて組み立てをするべき、という点です。

ネグロポンティは、査問会の最終盤で追い込まれてしまいます。すなわち、ヤンの機嫌を取るか、査問会開催側のメンツを取るか、二者択一の賭けをせざるを得なくなったからです。しかし、帝国軍の襲来は予期できないとはいえ、いずれヤンを解放せざるを得ないわけですから、両者(ヤンの機嫌と政治家のメンツ)を両立させる出口に向けて、シナリオを組み立てておくべきでした。

そのあたりの配慮が少しでもあれば、政府(トリューニヒト個人ではなく)とヤン艦隊は、もう少し連携できたはずなのですが、自治大学学長オリベイラに代表される自由惑星同盟の知識人達は、そこまで頭が回らなかったようです。

2021年12月5日日曜日

ヤン・ウェンリー「まずその種の寄生虫を排除することから始めるべきではないでしょうか」(本伝第32話)

自由惑星同盟イゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリーに対する、査問会という名の精神的拷問は、一度だけでなく不定期に何度も開催されました。その間、ヤンは軍施設に軟禁され、外の世界との関係は絶たれていました。副官のフレデリカがヤンの解放を目指して奮闘していたものの、今のところ有効な打開策が見つからない状況でした。

そんな中、ヤンの心中にある選択肢が浮上します。それは、軍を辞するというものでした。ヤンはもともと軍人になるつもりがなく、実際イゼルローン要塞の攻略に成功した直後にも、辞表を当時の統合作戦本部長シトレ元帥に提出していました。(当時はシトレに言葉巧みにかわされてしまいましたが)。

ヤンが軍を離れてしまうと、困ってしまうのは、実は今現在査問会でヤンをいびっている政治屋達でした。彼らにとって、イゼルローン要塞で銀河帝国軍を食い止めてくれるヤン・ウェンリーの手腕は、自身の政治生命にとって必要不可欠だったのです。そのため、ヤンは軟禁場所で辞表をしたためた時点で、非常に有力な武器を手にしたことになります。ここから、査問会におけるヤンの反撃が始まります。

少し長いですが、査問会の同盟自治大学学長オリベイラとヤンの舌戦を引用したいと思います。

オリベイラ「緊張感を欠く平和と自由は、人間を堕落させるものだ。活力と気力を生むのは戦争であり、戦争こそが文明の発達を加速し、人間の精神的・肉体的向上をもたらすものだ。(中略)それは、君が好きな歴史が証明しているのではないかね」。

ヤン「すばらしいご意見です。戦争で命を落としたり、肉親を失ったりしたことがない人なら、信じたくなるかもしれませんね。まして、戦争を利用して、他人の犠牲の上に自らの利益を築こうとする人々にとっては、非常に魅力的な考え方でしょう。ありもしない祖国愛をあるとみせかけて、他人を欺くような人にとってもね」。

オリベイラ「君は、私たちの祖国愛が偽物だと言うのか!」

ヤン「あなた方が口で言うほど祖国の防衛や精神を必要だとお思いなら、他人にどうしろこうしろと命令する前に、自分たちで実行なさったらどうですか?人間の行為の中で何が最も卑劣で恥知らずか、それは権力をもった人間や権力に媚びを売る人間が安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです」。

そして、ヤンは次の一言で彼らにとどめを刺すのでした。

「宇宙を平和にするためには、帝国との無益な戦争を続けるより先に、まずその種の寄生虫を排除することから始めるべきではないでしょうか」。

ヤン・ウェンリー「まずその種の寄生虫を排除することから始めるべきではないでしょうか」(本伝第32話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第32話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで学んだのは、「人間には大きく2種類いる」、ということでした。すなわち、戦争に人を駆り立てるタイプの人間と、戦争に行くタイプの人間です。

ここでの題材は戦争ですので、なかなか我々には実感が沸かないかもしれませんが、ビジネスや学業の日常で考えても、やはり同様の分類があると思います。つまり、人に実行を押し付けるタイプの人間と、実行を押し付けられるタイプの人間がいるということです。

この2タイプ、一度カテゴライズされると、なかなか抜けられないものだと思います。人に押し付けるタイプの人間は、一度それがうまくいくと、もはや自分でやろうという気にならないと思います。旨味を知ってしまいますので。他方で、人に押し付けられる人間は、押し付けるタイプ人間に目を付けられ、容易に逃れることのできない状況に陥りがちです。ここでのヤンの立場がまさにそうです。

人に押し付けるタイプの人間には処方箋はありませんが、押し付けられる人間にとって有益な打開策が2つあります。一つ目は、人に押し付けるタイプの人間に近寄らないことです。

そして、もう一つの打開策が、「選択肢、すなわち逆転の武器をもつこと」、という次の学びです。ヤンの思い切った発言は、辞表を書くと決めた後のことです。査問会におけるそれまでの彼の言動は、どちらかというと守勢に回り、相手の出方を見つつも、自身やイゼルローン要塞の皆を守ることを優先していたと思います。しかし、辞表を書いてそれを出すタイミングを図りだしてからは、攻勢に回ることができています。軍の残るという選択肢のみを想定していては、できなかった攻守転換だったはずです。

押し付ける人間に目をつけられてしまった人は、ビジネスの場でも学校でも、その場にただ留まることを唯一の選択肢にするのではなく、いくつか選択肢を持つことで現状打開の糸口が見えてきます。たいていの場合、押し付けられる人間は、押し付ける人間よりも経験が豊富になるため、有能になると思います。そのため、彼らがいなくなると、その場が回りません。その状況を逆手に取り、いつでも離脱できる選択肢をチラつかせながら、事に当たることで、不当な扱いをある程度は避けられると思います。

2021年11月13日土曜日

オスカー・フォン・ロイエンタール「敵のやつらがそんなことに遠慮する理由はないからな」(本伝第29話)

帝国軍によるイゼルローン要塞の奪還を確実にするため、
 ・イゼルローン要塞からヤン・ウェンリーを引き離す
 ・ガイエスブルク要塞を移動要塞化しイゼルローン回廊に大軍を送り込む
という二つの策謀が同時並行で進んでいる頃、帝国軍の双璧、オスカー・フォン・ロイエンタールとウォルフガング・ミッターマイヤーの両提督は、食後の談笑をしていました。

その中で話題に上がったのは、4年前に彼らが初めてローエングラム侯爵ラインハルト(当時は旧姓を名乗っていたため、ラインハルト・フォン・ミューゼル)をその目で見た時の印象でした。彼らの会話は、以下のとおりです。

ミッターマイヤー「どう思う、金髪の小僧とやらを」

ロイエンタール「昔から言うだろう、虎の子を、猫と見誤ることなかれ、と」

ミッターマイヤー「ラインハルト・ミューゼルは、卿の見たところ、虎か、猫か」

ロイエンタール「多分、虎の方だろう。姉が皇帝陛下のご寵愛を受けているとはいえ、敵のやつらがそんなことに遠慮する理由はないからな」

オスカー・フォン・ロイエンタール「敵のやつらがそんなことに遠慮する理由はないからな」(本伝第29話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第29話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで学んだのは、偏見を捨てて客観的に事実を見ることが大事、ということでした。

当時、門閥貴族達の間で、ラインハルト・フォン・ミューゼルの評判は芳しくなく、「金髪の小僧」「姉のスカートの中に隠れている」と揶揄されていました。その評判は、実際に彼が陣頭に立っていくつかの戦いで勝利した後でも、大して変わりませんでした。

他方で、ロイエンタールの見解は適切で、ラインハルトという個人を見る際に、「姉が皇帝の寵姫である」、「飛びぬけて若い(当時はまだ十代)」、「顔が綺麗」といった観点を全て捨てて、ただ「戦いが強いかどうか」という点(つまり、成果)を見ています。また、その成果の測り方も、上官の評価やマスコミの評判などではなく、敵側の視点を用いたものでした。

この一見簡単なことが、現実世界ではなかなか難しいのだと思います。私が中学時代に小説を最初に読んだときは、「門閥貴族達は見る目がない」と、むしろ彼らに人を見る能力がないように思ったものでした。しかし、実際に自分が社会人になって人を見極める側に回った際には、どうしても学歴や風貌といった実績面以外に目が行ってしまいます。このあたり、言うは易く行うは難しの典型だと思います。

この偏見を避けるためには、実際に自分の目で確かめる、例えばビジネスの場合は短期間でも一緒に仕事をしてみる、といった方策が有効だと思います。実際、ファーレンハイトやメルカッツ、ミュッケンベルガーといった面々は、ラインハルトの仕事ぶり・有能ぶりを共に戦い肌で感じることで、偏見にとらわれることなく彼を評価することができるようになりました。(そういう意味では、一度も一緒に仕事をすることなく、ラインハルトを正しく評価できたロイエンタールの慧眼は恐ろしいの一言です)。

さて、ここでのもう一つの学びは、強すぎる光に惑わされない、という点です。

当時、ラインハルトの傍には、いつもキルヒアイスがいました。そして、目立つのは常にラインハルトであり、キルヒアイスは影のような存在で特に誰にも意識されていませんでした。(キルヒアイスに「個人的に」ご執心のヴェストパーレ男爵夫人は例外ですが)。

しかし、キルヒアイスの能力や人望、特に上級大将に昇進してからの彼の活躍は、ラインハルトに勝るとも劣らない素晴らしいものでした。このシーンの続きでロイエンタールが「キルヒアイスの力があれほどとは、さすがに気づかなかった」と述べている通りです。キルヒアイス本人は特に気にしていなかったはずですが、(無視されるという)不当な評価を受けていたと言えます。

どこの世界にも、ラインハルトのような目立つ存在、キルヒアイスのように影に隠れる存在、どちらも居ると思います。そして、目立つから有能、影だから無能、ということではなく、むしろキルヒアイスのような影の存在がラインハルトという光をより輝かせている可能性について、常に意識すべきだと思っています。

2021年11月9日火曜日

アドリアン・ルビンスキー「権力者自らが法を尊重しないのだがら、社会全体の規範が緩むばかりだ」(本伝第30話)

フェザーンの秘書官ルパート・ケッセルリンクの策謀により、自由惑星同盟政府は、現政権に批判的なイゼルローン要塞総司令官ヤン・ウェンリーを、「査問会」という非公式・非公開の場に召喚し、精神的な拷問にかけようとしていました。

ケッセルリンクは、ここまでの状況を自治領主ルビンスキーに報告します。ここで、ルビンスキーは未来の後継者たるケッセルリンク(お互いに明かしてはいませんが、実は血のつながった息子)に、自治領主および親として、同盟政府の行動に対する見解を「教訓を踏まえて」述べています。

「(正式な軍法会議ではなく査問会という選択は)現在の同盟の支配者たちにふさわしいやり方だな。口では民主主義を唱えながら、事実上法律や規則を無視し、空洞化させてゆく。姑息でしかも危険なやり方だ」。

そして、「権力者自らが法を尊重しないのだがら、社会全体の規範が緩むばかりだ」。

アドリアン・ルビンスキー「権力者自らが法を尊重しないのだがら、社会全体の規範が緩むばかりだ」(本伝第30話)
『銀河英雄伝説』DVD 本伝第30話 (C) 田中芳樹・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ・らいとすたっふ・サントリーより引用

ここで当時学んだのは、上位者こそ規範やルールを守る責任がある、という点でした。

自由惑星同盟の最高評議会は、百数十億人の自由惑星同盟の民衆のトップに立つ存在です。国家元首は評議会議長(トリューニヒト)ですし、軍権を握っているのは国防委員長(ヤンを召喚したネグロポンティ)です。この両名が、ヤンという一個人を糾弾するために、正式な手続きである軍法会議ではなく、査問会という法律上根拠のない手段を選びました。なぜなら、軍法会議の場合は証拠が必要であり、かつ被告側には弁護人を立てる必要があるためです。彼らは、民衆に対しては法と規範を尊重するよう訴えているにも関わらず、自らは法で公式に用意されている道を避けたのです。

国のトップが法を尊重しないのですから、民衆側の「法を尊重しよう」という意識が損なわれるのは自明の理です。この場合、たった2人の行動が、百数十億人の意識に影響するわけで、非常に罪深い行いであると言えます。これが、民衆側の2人の行動であったなら、それほど大きな影響はなかったと思います。※トップ2人が今回はクローズアップされていますが、軍の中にいるトリューニヒト派のメンバーや憂国騎士団の行動の酷いものだと思います。

日本でも、コロナ禍の最中に、飲食を伴う会合の自粛を求めていながら、国側がそれを軽視して会食をしていた例がいくつか明るみに出ました。日本の人口は1億人強ですので、自由惑星同盟のそれと程度は異なりますが、影響は同じだと思います。

もし自由に居住地を選べるのであれば(諸条件はいったん無視したとして)、政府要人の言動が一致しており、かつ彼らが規範や法律を尊重している場所を選ぶべきだと思います。あるいは、政府要人が規範を尊重していない場合に、ジャーナリズム等の民衆側がNoを突きつけることのできる社会を、選べるならば選びたいところです。なかなか見極めが難しいとは思うのですが。

また逆に、自らの行動が多数に影響する立場に自身が立ったとしたら、ちょっとした違反やズルであっても、思わぬ波及をすることを意識しておくべきだと思います。

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