アーサー・リンチによる真実の暴露により、自由惑星同盟のクーデター(救国軍事会議)は瓦解します。首謀者のグリーンヒル大将はアーサー・リンチに射殺され、アーサー・リンチも他の将校達に殺されました。
首都星ハイネセンを包囲していたヤン艦隊は、時を同じくして地上への降下作戦を開始しますが、既に戦う意思のないクーデター派は、グリーンヒル大将の代理としてエベンス大佐がヤン・ウェンリーとの交渉に当たります。
その交渉の中で、「政治の腐敗を正すために我々は立った。自らの栄達や保身のみを考えるトリューニヒトなどよりもずっと崇高な理念の元に戦った」と、自らの正当性を主張するエベンス大佐。しかし、ヤンは次の一言で、彼らの正当性の主張に真っ向から反論します。
「政治家が賄賂を取ることが政治の腐敗ではない。それは政治家個人の腐敗にすぎない。政治家が賄賂をとっても、それを批判できない状態を政治の腐敗と言うんだ。貴官たちは言論を統制した。その一点だけでも、今の政治家達を批判する資格はない」。
ここでの学びは、個人の不備と仕組みの欠陥を取り違えてはいけない、ということだと思います。
エベンス大佐の言葉は、特にその状況の当事者となった場合、反論の余地のないもののように見えます。賄賂が横行する政治。政治家ではなく政治屋がはびこる議会。そして、政治屋達に権力を行使され翻弄される軍部。軍部の兵士や良識ある市民の立場からすると、そういった政治屋達を一掃することは、善悪だけで考えると、善行のように思えるのではないでしょうか。そして、クーデターに純粋に取り組んでいたメンバーは、皆多かれ少なかれ、そのような善を行うつもりで参加していたに違いありません。
しかし、その考え方をヤンは一刀両断しました。グリーンヒル大将やエベンス大佐達は、政治屋個々人の腐敗を断罪するために、仕組みそのものを専制側(言論統制といった民主制に反する仕組み)に変えようとしました。しかし、腐敗した政治屋を一掃するために民主主義を捨ててしまうのならば、なんのために民主主義の総本山たる自由惑星同盟が存在するというのか。行きつく先は自己矛盾です。
もしここまでのシナリオを、銀河帝国のローエングラム侯爵とオーベルシュタインが考えてアーサー・リンチに与えていたのだとすると、非常に皮肉の籠った秀逸なシナリオと言わざるを得ません。なぜなら、もしクーデターが成功していたら、世界に残る国家はどちらも専制国家であり、民主制国家がこの世から消えてしまうことになるのですから。
同様のシーンは、小粒ながらもビジネスの世界でもありえると思います。何かがうまくいかない、問題ある事象が存在する場合、そもそもの仕組み(会社のルールなど)が悪いのか、それを運用する個人やチームの側に問題があるのか、うまく切り分けないといけないと思います。ここで見立てを誤って、本来運用に問題があるのに仕組みを変えてしまっては、うまくいくはずのものも頓挫することになります。と言いながら、こういう取り違えは、案外日常的に起こっているのではないかと、個人的には思います。
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