自由惑星同盟で元総参謀長ドワイト・グリーンヒル(ヤンの副官フレデリカのお父さん)がクーデター(自らを救国軍事会議と命名)を起こした後、ヤン・ウェンリーは反乱を起こした惑星群を次々と鎮圧していきます。※白兵戦がメインのため、活躍するのは主にシェーンコップ率いるローゼンリッターです。
救国軍事会議が保有する艦隊は、ルグランジュ中将率いる第11艦隊。ヤンが正式に救国軍事会議への参加を拒否したことで、全面対決となります。その際、それぞれの司令官が全軍を鼓舞するために発した言葉は、正反対のものでした。
ルグランジュ「祖国への献身を果たせ。この世で最も尊ぶべきは献身と犠牲であり、憎むべきは臆病と利己心である」
大事なものはどちらか、ということの主張の違いが典型的に表れています。組織が大事なのか、個人が大事なのか。組織を守るために個人の献身が必要なのか、個人の自由を守るために組織が手段としてあるのか。どちらかが間違っているということではなく、主義主張の違い、ということだと思います。そして、本質的に「自由の国」である自由惑星同盟では、ヤンの考え方に共感する将兵(特に下級兵士)が多く、この戦いもヤンの勝利に終わります。
パワハラ等の言葉が出てきたことからも分かるように、現代の世の中、特に先進国では、個人が大事という方向に進んでいるように思います。しかし、まだまだ国のために個人が犠牲になって当然、という価値観も健在です。
そもそも、国民が存在して、彼らが国のために防衛戦争をしたり他国を攻撃するという発想(国民国家)は、近代ヨーロッパで生まれて200年程度が経ったにすぎません。それが太古からの当たり前の事実のように思われているのは、子供時代の歴史教育の結果に過ぎないのだと思います。また、そもそも近代国民国家が必要とされたのは、戦争に強い軍隊が必要だったためですが、現代でも同様の必要性があるかどうかは、意見の分かれるところだと思います。ここでの学びは、歴史的必要性に応じて有効な主義は変わる、ということです。
あとは個人的な好き嫌いですね。私はヤンの考え方が大好きなので、このやりとりに始めて触れたときは(小説の第2巻)、ヤンの「個人第一」の考え方に大賛成でした。しかし、社会人になってビジネスの世界に入ると、(多かれ少なかれ)ルグランジュの考え方も必要な場合がある、と考えるようになりました。
ところで、ここではもう一つ学びがあります。主義主張と人間性の組み合わせは、時々問題を生じさせるということです。純粋でまともな人間が「組織第一」という思想に染まった時と、怠け者で建前と本音をうまく使い分けできる人間が「個人第一」という思想を盾にする場合が特に問題だと思っています。前者は自分や他人を無意識に壊しますし、後者はフリーライダーになるためです。前者は救国軍事会議のドワイト・グリーンヒルやここで敗北するルグランジュ、後者の代表例は救国軍事会議とヤンの激突で漁夫の利を得るトリューニヒト議長です。
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