銀河帝国は皇帝フリードリヒ4世の死後、2つの陣営のいずれにつくべきかが、貴族達の最大の悩み事でした。2つの陣営とは、幼帝エルウィン・ヨーゼフ2世を擁立した宰相リヒテンラーデ侯爵とローエングラム候ラインハルトの陣営、門閥貴族のブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の陣営です。
後にラインハルトの秘書官となるヒルダの父、マリーンドルフ伯爵も同様に悩んでいました。帝国貴族として動くならブラウンシュヴァイク公につくのが本筋、しかし、皇帝に弓を引いてよいものか、しかも皇帝側には戦争の天才(ラインハルト)がいる、というのが、当時の貴族たちの一般的な悩みどころだったようです。
マリーンドルフ伯爵自身は、ヒルダによる「銀河帝国にもいつか終わりがくるし、そもそもこの戦いはローエングラム候が勝つ」という説得で、大きく皇帝派に傾きます。そしてその際に、「この家はお前が継ぐのだし、お前のやりたいようにやりなさい。マリーンドルフ家を道具にして、お前の生きる道を広げることを考えなさい」と言って、ヒルダをローエングラム候ラインハルトの下に送り出すのです。
ここには理想的な親と子の関係、家と子の関係が描かれているように思います。貴族に限らず、親というものはつい、親、家、子供たちの間で、主従の関係を想定しがちです。すなわち、親と家が主で、子供たちはそれに従うという考え方です。そのため、家が貴族だから門閥貴族につく、とか、家や親のために子供たちの選択肢を限定してしまうことになってしまいます。
しかし、マリーンドルフ伯爵にとっては、そうではありませんでした。子供(ここではヒルダ)が主で、親や家は従です。親と家は、手段としてヒルダの進みたい道をサポートする側に回っています。子には子としての人生があり、親や家は子を束縛するものではない。当時の貴族としては、特筆すべき柔軟性と包容力のある人物だったことがうかがえます。そしてそのことが、伯爵自身の後の栄達(本人にとっては不本意なものでしたが)に繋がったのだと思います。
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