アムリッツァ星域会戦で惨敗した自由惑星同盟では、戦争に反対していた各人の境遇はそれぞれ異なるものでした。
最高評議会の国防委員長トリューニヒトは、戦争に賛成した議長に代わって、議長代理の座につきます。同じく反対していたジョアン・レベロ財務委員長とホワン・ルイ人的資源委員長は留任されますが、トリューニヒトほど優遇はされませんでした。
軍部では生き残ったヤン・ウェンリーとビュコックは大将に昇進し、それぞれイゼルローン要塞の司令官、宇宙艦隊総司令官職につきました。キャゼルヌは地方に左遷、そして、統合作戦本部長のシドニー・シトレは引責辞任することになりました。
こうして見ると、今回の戦いで最も利を得たのは、トリューニヒトということになります。TVショーでスポットライトを浴びるトリューニヒトの姿を見て、シトレがこうつぶやいた通りです。「妙なものだ。同じく戦争に反対していたのに、我々は軍を追われ、トリューニヒトは我が世の春を謳歌している」。
この差はどうして生じたのでしょうか。そこに今回の学びがあると思います。
結果論ですが、トリューニヒトは失敗するという結果まで読みきって、それを手段として利用する目的で反対し、シトレは本質的に反対した、というところの違いではないか、と思います。どちらの行動も学ぶことの多いものだと思います。
学びの一つは「起きたことは最大限利用する」ということです。トリューニヒトは様々な方面からの情報を踏まえ、フォーク准将に持ち込まれた今回の戦争が無謀であることは分かっていたように思います。そのため、ここで反対意見を投じる賭け(しかもかなり有利な賭け)をして、それに難なく勝った、ということなのだと思います。あまり好意的に評価される人物ではありませんが、このあたりの抜け目のなさは、学ぶところが多いです。
そして、もう一つは「自身のポリシーを貫く」ということです。シトレは持論に従い今回の戦いに反対を表明しました。そして、失敗後は潔く身を引いています。「自分はもともと反対だった」などと変に騒ぎ立てず、飛ぶ鳥後を濁さずに去っていきました。その結果、彼は後の軍部高官(ロックウェル大将など)や政治家達(トリューニヒト、レベロ達)が被る誹謗中傷とは無縁に生きることができたのだと思います。
※もっとも、ヤンの死後、身を引いたという自身の行動を本人は相当後悔していますが。
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