自由惑星同盟軍の銀河帝国領への侵攻と占領、同盟軍の前線補給船団への帝国軍の奇襲、そして帝国軍の大攻勢は、その後の最終決戦の場所の名前をとって、「アムリッツァ星域会戦」という総称で呼ばれています。そして、このアムリッツァ星域会戦では、同盟軍の多くの有能な指揮官が失われました。特に大きかったのは、第10艦隊のウランフ提督と、第12艦隊のボロディン提督だったと思います。
ボロディン提督の第12艦隊は、帝国軍のルッツ提督の艦隊に急襲されていました。ルッツ提督はビッテンフェルト提督ほど好戦的な提督ではありませんが、防衛戦よりも攻撃側に回った方が能力を発揮する提督だったようです。そのため、第12艦隊も善戦したものの、旗艦以下数隻のみを残す状態にまで追い込まれてしまいました。
戦況の報告を受けた際のボロディン提督の行動は、潔いものでした。彼は「そうか…」と一言発した後、ブラスターで自らの命を絶ったのです。恐らく、彼本人としては降伏という選択肢は取れないけれども、自身がいなくなることで、部下たちに選択の自由を渡した、ということだと思います。自身の武人の美学を全うするため艦隊ごと玉砕しようとした、かつてのイゼルローン駐留艦隊司令官ゼークト大将とは全く正反対の人間性です。
この問題の難しいところは、普通の人間には、責任逃れも責任を負うことも、どちらの選択も実はしづらい、ということだと思います。責任逃れを最初から選択することは心情的に難しいですし(卑怯者と言われ続ける)、責任を負った際の未来が消耗と挫折であると分かってしまえば、その選択も積極的に採りづらい。といって、状況に応じて使い分ける、ということも難しい。一度「卑怯者」あるいは「責任感の人」とレッテルを貼られると、それ以外の行動はしづらいものだからです。
ボロディン提督は自身の責任を全うし、表舞台から去っていきました。最後まで「責任感の人」でいたわけですが、もし生き残っていたら、後に帝国軍と単身で相対するヤン・ウェンリーの助けになったはずです。そう思うと、同盟軍の上層部は、「玉砕や自殺は厳禁、逃亡か降伏をせよ」という訓令でも出していれば(絶対に出しませんが)、と思ってしまいます。
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