しかし、実はそうではないのではないか、と思わせる場面があります。フリードリヒ4世は、愛妻アンネローゼの弟であるラインハルトに、軍人としての出世街道を歩ませるだけでなく(成果を上げたのはラインハルト自身ですが)、ローエングラム侯爵家という家門も与えます。周囲の門閥貴族達からすると、過分な待遇に映りました。
門閥貴族達の反感を危惧した国務尚書リヒテンラーデ侯爵は、フリードリヒ4世に、ラインハルトを厚遇しすぎではないか、と問いかけます。その問いかけに対し、フリードリヒは(ラインハルトは)弑逆を考えるかもしれない、それでよいではないか、「どうせ滅びるなら、せいぜい華麗に滅びるが、良いのだ」と、すべてを分かった上での行動であることをほのめかすのです。
彼の即位自体は偶然の賜物でしたが(フリードリヒは皇太子ではありませんでした)、何百年も生き永らえ、門閥貴族に私物化されている帝国が、そろそろ終わりに近づいていることを察知し、ラインハルトのような「華麗に終わらせてくれる存在」を待っていたのかもしれない、そう思わせる場面でした。
ここでの学びは、「終わりのないものはない」ということです。何事にも終わりはくる。だからこそ、綺麗にすっきり終わって、次に繋げるのがよい、ということではないかと思います。
また、もう一つの学びは、一見したところ暗愚に見える人が、実は周囲が思いも至らないほど様々なことを見通していた、ということがありうるということです。見た目や噂で判断すると、痛い目に会うのではないでしょうか。
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