ローエングラム侯爵の逃げる演技にまんまと騙され、本拠地ガイエスブルク要塞から引きずり出された挙句、猛反撃を受けて壊滅状態に陥ったリップシュタット連合軍。彼らを全滅から救ったのは、ブラウンシュヴァイク公爵に疎まれガイエスブルク要塞に残っていたメルカッツ提督でした。
しかし、境地を救ったメルカッツに対し、ブラウンシュヴァイク公爵は心無い一言をかけます。「なぜもっと早く救援に来なかった!!」。自分がメルカッツに要塞に残れと指示したにも関わらず、です。これにはメルカッツの副官シュナイダーも黙ってはおられません。身を乗り出して抗議しようとしますが、上官に制止されます。
そんなシュナイダーに、メルカッツがその後語った内容がこれです。少し長いですが、名言ですので、丸ごと引用します。「ブラウンシュヴァイク公は病人なのだ。精神面のな。その病気を育てたのは、500年にも及ぶ貴族の特権の伝統そのものなのだ。その意味で言うと、公爵も被害者化もしれんな。100年前ならあれでも通じたのだ。不運な人だ。」
ここでの学びは、時代が作った「普通の人」が、その時代の終わりには敵役になる、ということです。
銀河帝国は、当時の国家元首ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが民主制を廃し、自身を支持する集団を帝国貴族として特権を与え、専制国家としての支配体制として整えた国です。そして、その特権は世襲で代々親から子へ受け継がれるものとされました。そのため、メルカッツの言うこの「特権」は、時代が経つに連れ、門閥貴族達が生まれた時から保有している支配権ということになります。日本の士農工商制度の武士、封建性や王制時代の貴族達、神権政治の神官達の位置づけです。
人は人の下に人を作ることを好むものだと思います。福沢諭吉が「天は人の下に人を造らず」と敢えて言っているのは、放っておくと人は人の下に人を作りがちだからだと思います。しかも、それが自分が築いたものではなく、生まれた時から、つまり本人の努力ではなく祖先から受け継いだものな場合、余計厄介です。自分の下に人がいることが当たり前だと思い込んでしまうからです。こうして、貴族の時代の「普通の貴族」のメンタリティが出来上がります。それはゴールデンバウム王朝に特有なものではなく、日本の武士、神権政治の神官も同様です。
そして、時代が終わりに近づくと、彼らは途端に敵役に転じます。明治維新で終焉を迎えたのは武家政治でした。近代に移る際、ヨーロッパでは封建制と貴族制が消えていきました。そしてここでも討たれるべき敵役として、ブラウンシュヴァイク公爵率いる門閥貴族が対象となりました。メルカッツの言うように、「100年前ならあれでも通じた」、つまり彼らの方がむしろ「普通」だったはずなのに。
同じことは、規模は違いますが、もっと身近でも起きています。ビジネス現場で、新しいやり方に対する抵抗勢力がいる場合、彼ら守旧派はだいたい古いやり方をよく知っている方々でしょう。そして、守旧派の方がむしろ、10年前には「普通」だったと思います。しかし、時代が変わると、彼らはまるで敵のように語られることが少なくないと思います。
自分も今は「普通」かもしれないが、いずれ新しい「普通」の人々にとっての「敵」になるかもしれない。そう考えて、常に何が「普通」なのかをウォッチし続けること、つまり歴史的に言うと「開明派」であることが大事なのだと思います。
また、シュナイダーがメルカッツとの会話後に「ブラウンシュヴァイク公は確かに不運かもしれない。しかし、その人に未来を託さねばならないのは、もっと不運ではないのか!」とモノローグで語っているように、「普通」から「敵」になりつつある勢力に加担すると不幸です。そうならないためにも、時代の潮流を読み続けなければならないのだと思います。
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